【Caligula レビュー記事】
2011年2月

「カリギュラ」- 存在の耐えられない軽さ

カリギュラの人生には、小説の最も目が離せないあらゆる要素が集約されている:スエトネ(歴史作家)からアルベール・カミュまで作家や劇作家達を絶えずインスパイアしている。
エトワール、ニコラ・ル・リッシュは彼の最初の大作としてカリギュラを発表、2005年に作られ、ガルニエ宮の舞台で3度再演されている。この作品は劇作家ギヨーム・ガィエンヌとの共同作業により結実した。
ニコラ・ル・リッシュは意図的に歴史の主観的、直観的な部分を取り上げている。彼はカリギュラを陶酔した忘我の習性があった英雄として見ている。悲劇の作風で、バレエはパントマイムの寸劇で分けられた5幕構成となっている。 皇帝の統治4年間の象徴として、音楽はビバルディの四季が元になっている。

マチュー・ガニオはタイトルロールを踊った。彼のすばらしくドラマチックな演技が、暴君の複雑で両面性をもつ人物像を際立たせている。カリギュラにとって“皇帝であること”は、自由を享受し勝手気ままにふるまうことである。彼は、帝国の要望に耳を貸さず、激しく生きることを欲する。最高のため、しかし特に最悪のことのために。新しい歓びの探究は常に常軌を逸している。
マチュー・ガニオは、その移り気、退廃、狂気を表現している。彼は、おぞましくも感動的なカリギュラを的確に演じている。彼の強烈な要求は、人生の悲劇や不満の意識をどうにも隠すことができない。極めて自由であり、また孤独である。生の少ない時間の中で、彼のもろさが表れている。激しい恐怖に襲われ哀れである。手の届かない対象、彼の馬を愛し、Luneと共に眠ることを夢見るこの愛する男に心打たれずにいられない。
マチューの踊りは、詩的で軽やかで、常に優雅さを保っている。彼は、カリギュラに最も欠けている人間的部分、議論をよんだその表情を再現している。

レティシア・ピュジョルはLuneの優雅さや繊細さで、カリギュラの想像をひく妄想をうまく演出している。彼女は、この放蕩の世界で、甘美さや抑制をもたらしている。
ステファン・ビュリオンは、見事にMnesterを演じている。彼の身体言語はどんな言葉より表現力がある。その抽象的で力強い身振りに惹きつけられる。とても美しい。
ヤン・サイズは、人生に砕かれ、不安定で幻滅したChaereaである。
マチアス・エイマンに関しては、詩的で優しく同情ある馬Incitatusの役を、浸透させている。

この物語の再編は原作を凝縮し、より深めている。振付は全ての慣習から解放されて 斬新で、興奮状態のアンサンブルにより、強烈で衝撃的である。この熱気はまた、より遅くゆったりした小節、時間が止まったような、アダージョやパントマイムの寸劇で対照的に印象づけられている。テーマの現代的で審美的なアレンジによって、詩情と悲劇が同時に存在している


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Traduction par IKUKO
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